心理学トピック

2005年11月 8日 (火)

長期記憶の呪文

運転前チェック

 ネン
 オ
 シャ
 チェ
 ブ
 ク
 トウ
 バ
 シメ

これは有名な、運転前点検の呪文です。

 ネン・・・燃料
 オ・・・オイル
 シャ・・・車輪
 チェ・・・チェーン
 ブ・・・ブレーキ
 ク・・・クラッチ
 トウ・・・灯火
 バ・・・バッテリー
 シメ・・・締め付け具合・ゆるみ

人はこのような呪文を唱えて、何かを覚えたりチェックしたりします。これは人の記憶にとっても重要です。

短期記憶とは、数秒の記憶です。短い時間に少しの物を覚えることができる記憶です。大体7つくらいのこと(数字等で)まで覚えられる記憶です。この7桁は有名な数字で、記憶の世界では、マジカルナンバー7と言われています。

しかしバイクのチェック項目の記憶が短期間で消えてしまったらチェックができません(^^;;。つまり、バイクのチェック項目は、長期記憶、つまり長年の記憶に留まっていなければなりません。しかし長期記憶は思い出すのが難しいのです。昔の記憶ほど「あれ?なんだけっな?」と曖昧だったり思い出し間違いをしたりします。これを助けてくれるのが上の呪文です。

人が短期記憶から長期記憶に移行するためには、以下のやり方があります

1.何度も繰り返し唱えて覚える

2.意味を分析したり、連想したりする

この呪文は2の方法になります。

もっといいのは、その呪文に意味があるといいのですが。
たとえば、いいのは、化学の

スイヘーリーベボクノフネ、ナムアルシップスクラークカ水兵りーべー僕の船、名もあるシップス「クラーク」 か

とかね。

また呪文となったこの言葉は一連のまとまりとして保存されるため、思い出しやすいのです!さあ、唱えよ。この呪文を!

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時間のお話

でね、お家からそこまで65Kmしかないのね。だから30km平均で、2時間あればつくと思うのよ。埼玉だし。都内といっても、青梅街道は結構とばすしね(信号は多いけど)でも、実際には3時間かかったの。

私がいったツーリングでも、予定よりはやかったというものはすくなく予定より、おしてしまったことが多いのですが、みなさんはどうでしょうか?

最近、私の中の心理療法のブーム(?)で、時間制限カウンセリングがあります。
昔々のカウンセリングは、精神分析(フロイトね)等がメイン(?)で、裕福な階級な人が時間制限なしに、受けていたんだけどね。大体数年から、数十年。そりゃ人間変わるって。カウンセリング受けて無くても。

さて、合理主義(?)なアメリカは、そうもいかない。短期療法なるものがでてきました(短くても、カウンセリング効果はあるんですー →私はこの心理療法をかなり崇拝(?)している。

で、最近、さらに、時間を積極的に利用したカウンセリングとして、時間制限カウンセリングというののがあります。ここでは、詳しくは述べませんが、時間って本当に不思議なのね。

さあ、皆様、時間ってどういうふうに学んでますか?例えば、ここから1時間の間に、バイク洗って、ガソリンいれて、オイルまでいれることが可能でしょうか?というと、自分でシュミレーションできますよね。

たぶん、バイク洗うというのが、個人の丁寧さによって異なる。ガソリンスタンドへの道も違うし、オイルも自分でいれる方と、お店でいれてもらう方もいるよね。自分でいれる時にも、手元にオイルがある場合はすぐにいれられるかもしれないし。時間っていうと、共通に認識されるものだけど、実は一人一人の持っている重みって違うのね。

で、経験によって時間(時刻ではないよ)は学習されることが分かってきました。それは脳でいえば、前頭葉の力なんだけど。

1時間の中にどれくらいの仕事ができるか、どれくらい移動できるか等は、なんどもマスツーリングを計画していたら分かるかもしれないけど、初心者は無理のある計画をしちゃうんだよね。

やはり何度も経験すると、1時間にできること、移動できる距離等が感覚的に分かってくるんです。

時間って、学習されるからこそ、自分で時間を上手に計画できるようになります。

そして、その計画性は個人個人異なるからこそ、時間制限されたカウンセリングを与えると、クライエントさん個人個人が自分で時間を設計し、重要な事柄から話すようになったり、自分なりにまとめたりできるようになるのです。

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バイクが語るもの

コミュニケーションの授業を西葛西のとある専門学校でしてきました。(講師もやってたりもする)そこからネタをもらおうっと。

人のコミュニケーションには、言語コミュニケーションと、非言語コミュニケーション があります。

非言語コミュニケーションは、表情、人との距離、化粧や態度、ジェスチャー等があります。
身につけているアクセもそうです。

つまり、言葉ではないのですが、言葉のように気持ちや言いたいことを伝える媒介が非言語コミュニケーションです。ちなみに、人のコミュニケーションの7割は非言語です。

バイクは普通は非言語的コミュニケーションには入りませんが、ライダーのバイクは非言語的コミュニケーションとなりうると思います。

さて、どうして、ライダーのバイクは非言語的コミュニケーションとなりうるか。

それは、バイクがそこにあるだけで、非言語のメッセージを伝えるからです。

例えば、レプリカで真っ赤なバイクにのっていたら走りや?それも派手好き?KAWASAKIのっていたら、男川崎くせがすきってか?

ブロンコ(ゆきの愛シャー)のってたら、おしゃれなシチーウーマンってかぁ(^^;;BMW おれって金持ち?冗談として(^^;;、

でも、バイク自体がコミュニケーションになりうる(言語化しなくとも)ものですよね。

さて、悲しいかな、バイクは同じに見えるという人にとってはこれはコミュニケーションになりえません。

つまり、コミュニケーションを受ける側にも、いわば、バイクをコミュニケーションの媒体とする土台がないとだめなのです。

特に受け取る側のバイクにおける非言語コミュニケーション等の読み取る力をデコードスキルと呼びます。このデコードスキルは、トレーニングよってとぎすまされます。

バイクについて研究し、いっぱいバイクに体感して乗ることで、バイク自体が我々に発する言葉を読み取ることができるのです

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セルハンディキャッピング方略

マスツーリングにいく時に、聞いてもいないのに、自分がいかに、運転が下手かというのを言う人がいる。

私って遅いからね。私って、これでも10年乗ってるの。でも、ホント下手で!!!

これは、こサイトがと「ほほのほで」ある意味を説明した、私の大好きな(?)だめだめ方方略です。

このような方略を、セルフハンディキャッピング方略といいます。

これは、ある課題遂行場面(この場合はツーリング)での評価(遅い)をごまかすために、私ってこういうだめなところがあるのと自ら作り出す行為 のこと。


その理由をかきます。少々難しいのですが・・・。

ツーリングで団体についていけなかった時に、それがその「だめだめ」なせいであるとみんなに分かってもらえます。そこで、得る批判をかわすことができます。

一方、ツーリングで団体についていける時には,「だめだめ」だったにもかかわらず成功したと自分の能力をアピールできます。

自尊感情の維持のために,自ら失敗の可能性を高めたり自分の欠点を主張するんですね・・・。不思議でしょう。


ここで、気づいた方はいるかもしれません。

どうして、団体から遅れること、遅いことが「だめ」という評価になるんだ!と。

ツーリングなんて、個人のペースを大切にしないと、事故の元。遅くてもだめじゃないですよね。

 つまり、これをしている人って、どんな評価が本人にとって怖いかを表しています。この人は、「遅い」評価をされることは「怖い」のです。だから、あらかじめ、予防線をはっているんですね。

 そこまで予防線はならんくていいのに・・・。だれもあなたのこと、そんなに、だめだめだと思わないし、遅くてもいいのに・・・。

 そう思えないので、予防線をはってしまします。

 これは、テスト(中間・期末)の時に良く現れます。自分がいかに勉強してないのか、だめだめなのかを友人にアピールするのです。


さて、このサイト、とほほのほ。私のだめだめぶりをセルフハンディキャッピング方略をとりながら、自尊心を維持しているわけです(?!)

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均衡理論

ライダー同士ってどうしてか好意をもちません?ライダー同士の夫婦、カップル多い気がする(うちもそうだよ〜)

心理学では、類似性と対人魅力 とテーマで研究されています。

 類は友を呼ぶのはどうして。(るいとも!)

 自分の友人は自分と同類と思いがちという実験結果があります(友人間類似誤認といいます)。

この理由にはいくつかあげられますが、ここでは均衡理論で説明しましょう。


自分の感情は、つりあっている(均衡である)と楽ちんです(という仮説があります)

1)友だちがバイクが嫌いで(-)、自分はバイク好き(+)、自分は友だちが好き(+)

だとしたら、これはつりあってません(不均衡)。自分がバイク好きなのは事実だし、自分は友だちが好きなのは事実。あとは、変えられるのは、友だちはバイクが好きなはず!(+)と思うと、今度は均衡がとれています。つまり(2)

2)友だちがバイクが好きで(+)、自分はバイク好き(+)、自分は友だちが好き(+)

<考え方は、かけ算をして、−になると、不均衡といいます>

違うパターンを考えてみましょう。

3Q)ある人はバイク好き(+) 自分はバイク好き(+) だとしたら、均衡になるためにはどうしたらいいでしょう?

3A)自分は友だちが好き(+)

(と思おうとする・・・・友人間類似誤認

 バイク、ある人が大好きなら、ある人がバイクが好きなほうが、心が安定します。そのような安定を求めるため、ライダーはライダーを求めるのです。

さらに、おもしろい実験があります。

人は会って最初の時期に対人的な魅力(この場合、ライダーかどか)を判断します。実験では、最初に「あ、この人、自分と似ている」と思ったら惹かれます。また、仲良くなると、お互いの意見が影響しあい、だんだん似てくる・・・というわけです。

・・・うーん。ライダーカップルが多いのがわかるような気がする・・。


参考文献 笹山 郁生 1997 斉藤勇 編 人間関係トピック100 誠信書房

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誤った関連づけ

バイクってまだまだなぜか偏見ありませんか?例えば、暴走族とかと結びつけられるの。どうして、そのような偏見が生まれるのか考えてみましょう。

まだ、二輪免許を持つ人は少数派です。四輪はそうでもなくなってきましたけど。

テレビでは、「警察24時間追跡!」シリーズなので「暴走行為」がどれだけ迷惑をかけているか放映されたり、実際に暴走行為をしている人たちを見ますよね。しかし、実際には暴走行為をしているライダーは少数派なんです。

別々のこれらの事象「ライダー」「暴走行為」が結びついてします。

これを「誤った関連づけ」といいます。


誤った関連づけの考え方

 ちょっとややこしいのですが、有名なハミルトンとギフォードの実験を説明します。

集団Aのゆきは、ゆっくりドライブ

18個
集団Aは26個

集団Aのゆきは、暴走行為

8個

集団Bのゆきは、ゆっくりツーリング

9個
集団Bは13個

集団Bのゆきは、暴走行為

4個

こういうのを書いた紙を用意したと考えてください。合計39枚の紙をある人」(被験者)に見せます。

(名前はそれぞれいろいろな名前に変えます。エピソードもそれぞれ違います。「ゆっくりツーリング(ドライブ)」VS「暴走行為」といったような社会的に望ましい行動と非社会的行動のエピソードを見せます。上のは例です。)

集団Aも集団Bも

ゆっくりドライブ(社会的に望ましい):暴走行為(非社会的行動)=9:4

です。(非社会的行為は少な目の割合で入ってます)

エピソードの数は、集団Aは26個 集団Bは13個です

そして、ある人」(被験者)に下のように聞くわけです

暴走行為をした人がいるのは、集団A  ? 集団B ?

集団AとBで見せたエピソードの数は違います。
ゆっくりドライブした人と暴走行為の割合は同じはず(9:4)

でも実験では、暴走行為をしているのは、集団Bだと思われるんです。


つまり、非社会的行動が同じ割合で存在していたとしても、集団Bは、それだけで、その行為が目立ちます。小さな集団となっているため、非社会的行動をしても目立ちます(人の印象に残るんですね)。大きい集団が同じ行動をするよりも目立ってしまうんです。これが小集団が偏見を持たれやすい理由だといわれています。

さて・・・

集団A=四輪の運転者 小集団B=二輪ライダー と考えるとどうでしょう。

小集団の二輪ライダーは、あまりおこらない暴走行為と結びつけやすくなるんです(少ない集団が、(数としては少ない)非社会的行為をしちゃうから、めだっちゃう)

小集団への偏見がこのようにできるというお話でした。ちゃんちゃん


参考文献 笹山 郁生 1997 斉藤勇 編 人間関係トピック100 誠信書房

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社会的怠惰

たくさんの人を先導して走る人がいるマスツーリング。いくらその方が先導者とはいっても、ツーリングの基本はメンバー全員が、マップを頭にいれておくこと!

でも、先導者が迷ったら、「私のせいじゃないもーん」なんて・・・思ってません?「ああ!!先導者、道にまよっちゃったのかな〜先導者に指摘しなきゃ。でも、まあいっかぁ」なんて、思ってません?

これにも心理学の秘密があるんです。

社会的怠惰という理論があります。

個人で作業する時の努力量に比べて、集団で作業するときの努力量が低下する現象のこと。

つまり、集団がでっかくなると、一人一人はなまけちゃうぞ!という心理状況を指摘した理論です。

いろいろな原因がいわれていますが・・・大体は以下の通り


・怠けても非難されないや、努力したって自分だけが利益(速くゴールにつく)わけじゃないし〜(他にもたくさんメンバーいるもーん)

・自分がそんなにしなくてもいいや〜(自分に強要される努力量を自然に低く見積もってしまう)

・自分は最小限の関わりでも、集団ではそこそこできちゃうじゃん(最小限の努力で集団の利益を得ようとしている)


これが端的に現れるのが、バスなどの「降車ボタン」。絶対にみんなが降りることが予想されるバス停の時には、社会的怠惰の心理状況がはたらき、ボタンをおさなくなります。しかし、絶対に自分しか降りないだろうと予測されるバス停では、自分が率先してボタンを押します。これは意識せずになんとなくこうなるのです。

マスツーリングでは、どうしても上記のような心理状態になり、他者に責任を押しつける心理状態が働くんです。

また、この心理状態の場合では、援助行動の低下も指摘されています。つまり、先導者を助ける行動がしにくくなるんです

ただし、この元々の実験は「見ず知らずの他人」での現象!よく知っている人であれば、違ってきますよね。またこういう心理状況になることを知っていることで、先導者をさっと助けてあげることができるかもしれませんね。


最近は、リスキーシフトは、責任の拡散ではなく、社会的比較、情報的影響の理由で説明されています(コーシャスシフトがあるため

参考文献 社会心理学用語辞典 1995 北大路書房

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帰属理論

マスツーリングの時の先導者の心理についてかきましょう。

たくさんの人を先導して走る人。その時に「道にまよってしまった!!」。さあ、この先導者の心理はどうなんでしょうか。

どういう言い訳をするかな?

(1)「あれ〜、道がわかりずらいな〜」
(2)「運がわるいね〜」
(3)「ごめん、私って本当に方向音痴なんだ」
(4)「地図よくみてなくってごめん」

(1)のように考えられる人と、(2)のように考えられる人の違いって?。まあ、ぶっちゃけていえば、「個人の性格」による違いなんです。おわり・・・・。

これでは寂しいので、道に迷った時に、人はどういう風にその原因を考えるか・・・。それについて今回は、帰属理論で説明してみます。

帰属理論は、今でもさかんに研究されている理論。私も足をつっこみたくない(^^;;なのですが・・・。ここでは古典的な原因帰属理論に沿って説明します。

個人の内部ある 個人の外部にある
安定した経験
自分の能力
課題の困難さ
一時的な経験
自分の努力

ワイナー(1972)より

「道に迷った」というのを、「自分自身の問題」と考える人は、「個人の内部」に「原因の所在」(以後、原因帰属といいます)を考えたということになります。

「道に迷った」ということを、「たまたま迷ったんだよ〜 僕のせいじゃないんだ」と思う人は原因帰属を「個人の外部」にあると考えます。

この人にとって「なんどもなんども、道に迷ったこと」であれば、「安定した経験」したこととなります。

この人にとって、「たまたま1回だけ道に迷っちゃった」のなら、「一時的な経験」と考えます。


・「なんども道を間違える」(安定した経験をした)人が、「自分のせい」(個人の内部)と考えた時には、「自分は道に迷いやすい」人=能力のせいだと原因を帰属させます。

・「なんども道をまちがえる」(安定した経験をした)人が、「自分のせいじゃないよ〜。たまたまじゃん」(個人の外部)と考えたら、「道が複雑でわかりずらいんだ!」と、道のせいにしたりします。これは課題の困難さに帰属させています。

・「いつもは迷わないのに、まよっちゃったと(一時的な経験)が「自分のせい」と考えた時には、「僕がしっかり道地図みなかったからだ」と「自分の努力が足りなかったせい」だと思います。

・「いつもは迷わないのに、まよっちゃった」(一時的な経験)と思う人が、「自分のせいじゃないよ〜。たまたまじゃん」と考えたら、「が悪かったね」〜と思います。


これは逆にも言えます。

(1)「あれ〜、道がわかりずらいな〜」課題の困難さ
(2)「運がわるいね〜」
(3)「ごめん、私って本当に方向音痴なんだ」能力
(4)「地図よくみてなくってごめん」努力

それぞれの言い訳によって、どこに原因を帰属しているか分かるのです。


ワイナーによると、

「自分が道に迷いやすいんだ」(能力)、「道が複雑でわかんないんだよ」(課題の困難さ)に原因を帰属する人は、同じような場面に出会ったときに、「また道に迷うかも」と思いやすい

「自分がもっと地図をしっかりみなかったからだ」(努力)、「運がわるかったね〜」()に原因を帰属させる人は、同じような場面に出会った時に「今度は、道に迷わないよ!」とおもいやすい


さらに原因の帰属の仕方は大きく4つあり、複雑でわかりずらいですが、原因の帰属の仕方で、これからの成功、失敗をどう予測するかが分かるということです。

さあ、あなたは、どういう帰属をするかな?

ちなみに、ゆきは、「自分がもっと地図をしっかりみなかったからだ」(努力)に帰属しますね。でも、いつも道に迷っているかも???〜(・・?))アレ(((;・・)?アレレ。あわないじゃん!


参考文献 社会心理学用語辞典 1995 北大路書房

山口 勧 1994 改訂版 社会心理学 日本放送出版協会

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認知的不協和理論

バイク購入!嬉しいものです。そのときのこんな心理状況ってありませんか?

長い間バイトして、ようやくバイクを買えるお金がたまりました。さあ、ブロンコを買うぞ!しかーーーし、結構、バイクやさんってあるみたい!。いろいろ調べて、A店舗で買いました。買った後で、バイクの広告を避けてしまう・・・。


フェスティンガーの有名な、「認知的不協和理論」でよくでてくるエピソードです。なんかこのコーナー社会心理学系が多くなりそう(^^;;

(1)認知的不協和は不快なので、協和をつくりだそうとする

(2)不協和を増大させるような情報や状況を積極的に避ける

私たちは、

「物」や「できごと」に、知識や、信念、意見、価値観などをもっているものです。これらを大きく「認知」と呼びます。

今、「ブロンコを最も安く買いたい」という認知と、「自分はブロンコを持っている」という認知があったとします。

ブロンコを買ってしまった今、「自分はブロンコを持っている」という認知は変えられません。「ブロンコを最も安く買いたい」と思っている私は、できるだけ努力しましたが、その努力が本当に実ったかどうかは分かりませんよね。持っているバイクが高い」のであれば、それは、認知的に不協和となります。

(1)の心理特性により、なんとかこの認知的不協和を協和状態にしようとします。つまり「持っているバイクは最も安い」と信じたがるのです(認知的協和の状態)。また、その信念をくつがえすだろう「バイクの広告」は脅威です。つまり認知的不協和の状態を避けるために、私たちはバイク広告を避けてしまうようになります。


参考文献 山口 勧 1994 改訂版 社会心理学 日本放送出版協会

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自己評価評価維持モデル

バイクのっていてこんな心理現象ありませんか?これを今回はSEMモデルに沿って説明していきます

女性ライダーが女性にバイクで抜かされると、おもわずアクセルをまわしてしまう

車に抜かれてもなんでもないのに、バイクに乗っている人が、抜かれると、、おもわずアクセルをまわしてしまう。


自己評価評価維持モデルをSEMモデルといいます(Tesser)。このモデルの前提は以下の2点。

(1)人は自分の自己評価を維持しようとしたり高めようとしたりする

(2)自分と他者との関係が自己評価に大きく影響する

特に、(2)に注目。ここでいう「関係」とは、特に以下の2つが前提となっています。

(A)「自分と他者の心理的な近さ」

(B)「活動の関連性」


バイクはまだ、男性ライダーが多いですよね。女性ライダーが横にならんだらやはり嬉しいもの。これは、(A)「自己と他者の心理的な近さ」を意味しています。一般に、男性ライダーより女性ライダー同士が「心理的に近い」と言えます。その女性同士が2人並び、相手が自分よりスキルがあったり、追い抜かされると、自己評価が低められます。そこで(1)「人は自分の自己評価を維持しようとしたり高めようとしたりする」ため、アクセルを思わずまわしてしまうのです。

さらに、(B)を説明しましょう。私たちがバイクにのっている時に、車に抜かされても、なんでもないのに、バイクに抜かされると、思わずアクセルをまわしてしまうこともありませんか?これは(B)「活動の関連性」が関係しています。ライダーはバイクにのっている人と「活動が近い」ということです。活動が近い時に、相手が自分よりスキルがあったりすると、自己評価が低められます。上記と同様(1)の理論より、おもわず、アクセルをまわしてしまうのです。もっといえば、ライダーは、歩行者とは競争しないでしょう(^^;;。活動が全くちがいますもん。


実際には、SEMモデルでは、(A)と(B)との交互作用によって自己評価の高低が決められるようです

参考文献 山口 勧 1994 改訂版 社会心理学 日本放送出版協会

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